ライオンズクラブ国際会長 シド L スクラッグス

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ライオンズクラブ国際会長 シド L スクラッグス3世

ライオンズクラブ国際会長 シド L スクラッグス3世 希望の光 Beacon of Hope

ライオンズクラブ国際会長 シド L スクラッグス3世

2010〜2011年度 国際会長
新たな高みへとライオンズを導く
シド L. スクラッグス三世は、仲間のライオンと二人、森を抜け、荒れ果てたトレーラーハウスに向かっていた。ノースカロライナの所属クラブが行う、貧しい家庭の支援活動のためだ。そこに住む母親は、末期がんだった。一箱の食糧を届けると、母親は二人と話したがった。「私には2人の幼い子どもがいるけれど、何もしてやれないんです。私がいなくなった後、私のことを、どんな母親だったと思うでしょうか」。スクラッグスは、飛行機の操縦を生業としていた。しかし彼は、夫であり、父であり、ライオンだった。彼は優しく母親に約束した。「子どもたちを愛し、大切にしてくれたお母さんとして思い出してくれますよ」 スクラッグス新国際会長は、こうした類の経験が、協会のリーダーとしての一年間を決定づけるものであることを知っている。地域のリーダーとして、また一人のライオンとして社会に貢献してきた会長は、世界中のライオンズにも、改めて、手ずから行う奉仕に打ち込んでほしいと願っている。
スクラッグス会長の好きなアクティビティのひとつが、ノースカロライナで三日間行われる視力障害者(Visually Impaired Person=VIP)釣りトーナメントだ。イベントには、500人以上の参加者が集まる。彼は、釣り糸を垂れながら、馴染みの顔を見つけ、参加者とふれ合うのを楽しむ。ただ傍観したり、距離を置いたりすることはしない。真ん中に飛び込んでいくのである。

成功への意欲
スクラッグス会長は、常に上を目指している。その原点は、スポーツに熱中した幼少時代の経験と、それを応援してくれた親にあるという。父は、チャッタヌーガ・タイムズという新聞社で働いていた。ピアノを弾き、作曲もした父は、弱い者の味方だった。母については「競争心が非常に強く、 負けず嫌いな人でした」と話す。「大目に見てくれる、ということは決してありませんでしたね」 コーチもまた同じだった。陸上競技会の幅跳びで失敗したとき、当時のコーチだったバディ・ゲドランは、その場を立ち去った。「すべてのジャンプに全力を注がないなら、私は見ない」と言うのだ。次のジャンプで、「私は文字通り砂場を飛び越え、新記録を打ち立てました」。しかし、この日の経験以上に重要な意味を持つのが、レスリングのマット上で経験した敗北だった。それまでリードしていた彼は、あと1秒というところで気を緩め、負けてしまったのだ。「1 秒先にあった勝利を、私は逃したのです。あの一度の敗北は、生涯私の原動力となっています」と、スクラッグス会長は振り返る。 勉学の面でも優秀だったスクラッグス青年は、海軍兵学校に合格。卒業後は、フロリダ州ペンサコーラ市の海軍航空機プログラムに入り、1961年に海軍飛行士の証である「黄金の翼」のバッジを授与された。その後、海外の飛行隊に配置され、空母で太平洋を航海した。また、提督補佐官も務めた。上級ジェット機訓練軍団で飛行指導教官を務めた後、彼は海軍を辞め、アメリカン航空でのパイロットの職に就いた。

ファミリーマン
若きスクラッグス会長がジュディ夫人と出会ったのは、初めての車を買った夜だった。海軍兵学校に在籍中、親友の一人がデートをセッティングしたのだ。その夜、スクラッグス青年は一方通行の道で逆走してしまい、 二人の警官が、警察署へ彼を「招待」した。彼はジュディに電話をし、警察署にいるから少し遅れると伝えた。やっと到着したとき、ジュディはルームメイトにどんな人か見てくるように依頼。帰ってきたルームメイトはOKサインを出し、ジュディはデートに出かけた。「彼はとても思いやりのある人です」とジュディ夫人は語る。「それは結婚する前の早い段階から分かりました」 二人は海軍兵学校のチャペルで結婚式を挙げた。海軍に在籍している間に、二人の間にはシンディ、デビー、そしてS. リー四世の3人の子供が生まれた。後に、4人目のケビンも誕生した。子どもたちは、家族生活の中心となった。スクラッグス会長は子どもたちの教育に積極的な関心を示し、学校の創立と、別の学校の運営にも携わるほどだった。また、夫妻は様々な青少年活動にもボランティアとして参加した。

ライオン開拓者
スクラッグス会長がバス・ライオンズクラブに加わったのは1992年。当時、クラブには18人しか会員がおらず、正会員はそのうち12人だった。彼は、自ら会員委員長に名乗り出た。「これ以上の新会員はいらないよ」と、スポンサーは言ったが、 それでも彼は新会員を見つけてきた。 クラブは大きくなり、地域で活発に活動するようになった。彼は、レオ・クラブの結成を支援し、クラブは地元の学校に以前より深く関わるようになった。会員数は65人以上にふくれ上がった。スクラッグス会長は、クラブに活力を与え、変身させる一端を担ったのだ。これ以外にも、女性会員の勧誘に力を入れた他、彼自身が理事を務めるラーレー盲人クリニックの視力障害者および職員で構成されたクラブ、ラーレー・エリート・ライオンズクラブを始めとする特別クラブの結成にも取り組んだ。

「希望の光」
スクラッグス夫妻は人生のすべてを分かち合ってきたが、ライオンズはその中でも大きな部分を占めている。「ライオンズの優れた点は、自らの手で奉仕を行うところにあると思います。私たちが人々の人生を変えてきた数々のエピソードなら、詳しくお話しすることができますよ」と新国際会長は語る。彼は、ライオンズは「希望の光」だと言う。これからの一年間、スクラッグス会長は希望のメッセージを世界中のライオンズに伝えるつもりだ。「人々は、物事の現状に目を向けます。しかし、ライオンズは違います。ライオンズは、物事の可能性に目を向けるのです」